大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大津地方裁判所 昭和40年(ヨ)36号 判決

債権者 丸玉観光株式会社

債務者 大津市

訴訟代理人 広木重喜 外六名

主文

本件仮処分申請は却下する。

訴訟費用は債権者の負担とする。

事実

債権者代理人は「債務者は、大津市中庄一丁目字中庄一三二番地の一、二先琵琶湖水面のうち別紙図面朱斜線表示の部分につき埋立工事ならびに道路開設工事に着手したり続行したりしてはならない」との裁判を求め、申請の理由としてつぎのように述べた。

債権者は頭書住所地に本店を置き、大阪、京都、滋賀県において観光事業を営み、大津市では琵琶湖の湖畔にホテル紅葉、紅葉館および晴嵐荘の政府登録国際観光旅館を設置営業している者である。

債権者は、昭和二五年大津市中庄一丁目字中庄一三二番地の一、二宅地合計一、三九二坪一合二勺を同地上の建物と共に所有者である債権者会社の代表者木下弥三郎から借り受け、右建物を改築し、また同地上に債権者所有の建物を増築したうえ、昭和三一年六月から国際観光旅館晴嵐荘なる名称で営業を開始し、今日に至つている。

しかるところ、昭和四〇年四月二三日、債務者は都市計画事業の執行として同年九月末完成を目標に、都市計画街路二一三号線の建設にとりかかり、前記晴嵐荘の隣地との境界線の東南角に大量の土砂を搬入集積した。

右都市計画街路二一三号線というのは別紙図面記載のように、晴嵐荘の東南約一五〇米の国道に接する点を起点として、琵琶湖の水面を一直線に大津市浄水場の南側に通ずる幅員二五米、路面が水面上一、五米の道路であつて、右二一三号線を開設するため、債務者は、債権者会社の代表者である木下弥三郎が右晴嵐荘の営業のため昭和三二年四月一日以降引続き滋賀県から和船繋留場として水面使用ならびに工作物設置許可を受けて使用している、別紙図面朱斜線部分を含めて右図面に表示した地域を埋立てる計画を有しているものである。

晴嵐荘は琵琶湖の南端の閑静な湖畔にあつて、古雅な建物と、広々とした庭園美と、湖水の眺めの調和は絶品と称すべきであり、他に債権者会社が経営する紅葉館やホテル紅葉が近代的設備を愛する利用者のための施設としての特色を有するのに対し、景勝と閑静を愛する利用者のための施設としての特色を有し、かつこれをもつて生命線としているのであり、もし債務者が右都市計画事業を執行して湖水面を埋立て、道路を開設するならば、工事中の騒音振動等による損害、或はまた水面埋立、道路開設後地盤が固まるまで最低二年間路面をそのままにしておくことによる悪路、砂塵等による損害はいうまでもなく、終日車両等が頻繁に通行するならば風致閑静を害すること甚しく、晴嵐荘のかけがえのない特色が全般的かつ完全に喪失することになり、同荘の閉鎖を招来するという回復し難い重大な損害を蒙ることになる。

よつて債権者は債権者の所有権および、賃借権、または債権者の所有権および代位による申請外木下弥三郎の所有権、またはそれらを包摂した営業権に基づく妨害排除請求権を本案とし、債務者に対し請求の趣旨記載の湖水埋立ならびに道路開設工事の禁止を求めて本訴を提起すべく準備中であるが、債務者が右工事に着手しこれを続行するならば債権者は回復し難い打撃を蒙るからこれが保全のため本件申請に及んだ次第である。

債務者代理人は第一次的に主文第一項同旨の裁判を、第二次的に「本件申請を棄却する」との裁判を求め、本案前の抗弁として、第一に「債権者が差止を求めている琵琶湖水面の埋立工事は公有水面埋立法に基いて債務者大津市が滋賀県から公有水面埋立免許を受け、道路開設工事は都市計画法第三条に基いて債務者大津市が建設大臣の認可を受け、各施行しようとするものであり、行政事件訴訟法第四四条の「公権力の行使に当たる行為」に該当し、同条により民事訴訟法に規定する仮処分をすることができないから本件申請は却下を免れない。」第二に「債権者は被保全権利として所有権や賃借権、代位による所有権、または営業権に基く妨害排除請求権をあげるが、それらの権利の相互関係が不明であるのみならず、債権者が権利を持つのはいずれも係争地の隣地であり、係争地については何ら具体的の権利を持たないのであつて、右のような不明瞭な権利を保全するため仮処分を求めることは許されず本件申請は却下されるべきである」と述べ、本案に対する答弁としてつぎのように述べた。

債権者会社の事業内容、債務者が債権者主張のような都市計画街路の建設に着手していることは認める。ただし道路の名称は都市計画街路二・一・三号線であり、その幅員は一八米で路面の高さは琵琶湖水位十・一零位より平均二、八米である。その余の主張事実を争う。債権者ないし木下弥三郎が滋賀県より和船繋留場として水面使用等の許可を受けていたのは昭和三七年三月三一日までであつて、その後は許可を受けていない。

そしてかりに本件仮処分申請が適法でかつ被保全権利が認められるとしても、債権者債務者の利益こう量の点からいつて本件申請は許されるべきではないと考える。

すなわち、本件埋立工事ならびに道路建設はあくまで、大津市の観光地としての特色をより一そう生かすためになされるものであり、かつまた国道一号線および大津市市街地区の道路交通の障害を緩和ないし除去するため緊急の必要性を有するものである。

周知のごとく、大津市は勝れた景観と史跡に恵まれ、国際的にも第一級の観光地としての条件を充分に備えており、市域の自然的風景地のほとんど全域にわたり、琵琶湖国定公園の指定が行なわれている。

ところが、大津市の旧市街道は旧時代の名残りをそのまま留めており、特に膳所地区から浜大津までの間東西に貫通する道路は、国道一号線の外は狭い旧東海道のみで市内交通は極度に混雑、麻ひをきたしている。そして最近のように自動車を利用する観光客が増加する現況からするならば、観光都市としてはあくまでもこれに応じた受入態勢を構ずべきで、これに対処するための総合的の観光資源の保護助長施策として、大津市においては観光地としての魅力ある都市づくりを目標とする都市計画事業がなされているのであり、その一環として、特にその魅力ある性格という観点から、琵琶湖湖岸道路の建設は、湖岸にそつて緑の街樹を植え、水銀灯の照明をほどこし、さらに散策のための遊歩道を造り、琵琶湖をあますところなく観賞できるよう大衆観光客に開放するとともに、湖岸の自然的風景を一層近代的に洗練するよう計画実施されようとしているのである。

ところで本件係争地区は、前述の都市計画事業としての都市計画街路の一部にあたつている。しかしてすでに、この湖岸道路は昭和二六年度から前記浜大津を起点として着々と建設され昭和三九年度までに本丸町地先までの大部分が完成しており、昭和四〇年度には本丸町地先から御殿浜地先まで延長五八〇米が完成しさえすれば全線開通し、完成の暁には国道一号線のバイパス道路となり市内交通の緩和を図り、観光産業面にも多大の寄与をすることができるのである。しかるにもし本件仮処分申請が認められるとするならば、巨額の資金を投入した本件湖岸道路建設は、完成間近にして九じんの功を一きに欠く結果となり、ついには、前述した如き大津市ならびに琵琶湖観光資源の開発も、東西市街地交通の利便の増進も画べいに帰し、そのため国民大衆の受ける不利益ははかり知れないものとなるといつても過言ではない。

他方、本件埋立工事ならびに道路建設によつて債権者の経営する晴嵐荘の蒙る不利益について考えてみるに、これが完成の後においても、同荘の特色といわれる閑雅、景勝の点は何ら害されることはないのである。けだしこの道路建設はあくまで琵琶湖の持つ自然的風景をより一そう価値あらしめるためのものであり、それがために前述の如く種々の工夫をこらし、自然的風景を害することなく、人工美と自然美の調和を図ろうとするものである。従つて、本件道路建設の着手にあたつても、その点を充分考慮のうえ、道路面の高さも晴嵐荘の湖岸石垣の天端よりいくらか低めに設計施行を予定しており、将来むしろ景観の近代美を加えこそすれ、決して湖岸の眺望を失わしめることはなく、また閑雅の点についても、本件道路は晴嵐荘とは一定の距離(二〇米)を置いて建設され、しかもそのあと舗装された良質のいわば公園道路となるのであるから、営業に致命的な打撃を与えるが如きことは全く考えられないところである。

ただ債権者主張の如く工事期間においては騒音、振動等により、多少の影響があるかも知れないけれども、しかしこの種の影響は新しい都市として脱皮しようとする建設事業においては避けることのできない性質のものであり、通常の場合、誰しも忍従すべきところと考える。特に本件工事に当つては騒音、防塵対策には最新の技術的配慮を加えて施行する予定であるから、そういう意味でも、債権者の蒙る損害はやむを得ない最少の限度ないし範囲内のものということができる。

故に債権者の本件仮処分申請は、あくまで自己の利益を追求するのあまり、大津市の観光開発、交通難打開のため緊急性を有する水面埋立、道路開設工事の差止めを、営業妨害または眺望妨害を理由に求めんとするものであり、これは大津市全体の発展と国家全体の公共の福祉に反するものであつて、到底許されるべきではないと考える。

よつて本件仮処分申請はその必要性を欠き棄却されるべきである。

(証拠省略)

理由

債務者が債権者主張の日時その主張のとおりの計画(路線番号、幅員、路面の高さを除く)のもとに都市計画街路開設に着手したことは当事者間に争いがない。よつてまず本案前の抗弁につき考えるに、成立に争いのない疎乙第一ないし第三号証の各一、二によると、債権者が差止を求めている右琵琶湖水面埋立ならびに道路開設工事は、債務者大津市が、市内交通の緩和をはかり観光産業面の発展に寄与するため、都市計画事業の一環として琵琶湖水面を埋立てたうえ、都市計画街路二・一・三号線を築造しようとするものであつて、このうち琵琶湖水面埋立工事は、公有水面埋立法に基づき、昭和四〇年三月二七日、滋賀県知事から公有水面埋立免許を受けたうえ施行しているものであり、道路開設工事は都市計画法第三条に基づき昭和三八年七月三一日、大津市都市計画街路事業とその執行年度割について建設大臣の決定を得たうえで施行しているものであることが認められる。

行政事件訴訟法第四四条にいう「行政庁の公権力の行使に当たる行為」とは、法が認めた優越的な地位に基づき、行政庁が一定の行政目的を達成するため法の執行としてなす権力的意思活動を指し、都市計画法第一六条ないし第一八条によると、一定の都市計画事業に必要な土地工作物は土地収用法により強制的に収用または使用しうることが定められ、また同法第二四条によると私人に課する負担金等につき行政庁国税滞納処分の例により強制徴収しうることが定められているのであるから、これら優越的地位を表わす諸規定に徴しても都市計画法に基づく本件都市計画街路開設工事が行政庁の「公権力の行使に当たる」行為に該当することは明らかである。

そして公権力の行使に当たる「行為」の中に本件工事のごとき事実行為が含まれることは、行政事件訴訟特例法第一〇条第七項が、単に「行政庁の処分」としていて法律行為的処分に限り事実行為的処分を含まないか否かにつき争いがあつたので、これを立法的に解決するため、行政事件訴訟特例法改正要綱試案第二次案で抗告訴訟の一類型として「事実行為の訴」を、第三次案で「事実行為の取消しの訴」を認めようとしていたところ、最終的には抗告訴訟と独立した訴とせず処分の取消しの訴の中で「その他公権力の行使に当たる行為」として事実行為を含ましめることとした立法の経過に鑑みても、また行政事件訴訟法公布後に公布され、同法と同時に施行された行政不服審査法第二条でも行政庁の「処分」に公権力の行使に当たる事実上の行為が含まれるとしていることに徴しても明らかなところである。

そして行政事件訴訟法第四四条によると、行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為については民事訴訟法に規定する仮処分をすることができないとされているのであるから、債権者の本件申請は、その余の点を判断するまでもなく不適法として却下すべく、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用したうえ主文のとおり判決する。

(裁判官 畑健次 首藤武兵 北沢和範)

(別紙図面省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例